そこに何かを物語る前に。

分からない。これが果たして物語になるのかどうか、そして、どのくらいの長さになり、この物語か何かの中で、どれだけの人間が生活し涙を流すのか、私にも分からない。彼ら、あるいは彼なのかも知れないが、私にできるのはその人物のある一側面を切り取って、そっとここに提示するだけである。それが限界であり、それがまた全てである。そこに全てがある。
そうやって物語は生まれてゆくのである。しかしこれは一般論ではないだろう。むしろ極めて私的な、私個人に限られた方法であるのかも知れない。ある人物は私の中にふっと沸いてきて好き勝手に増殖し、それは泥人形が自動で生成され、やがて外見上はそっくり人間のようになってしまう魔法に似ているが、私の意識の大部分を食っておきながら、やはりまた勝手にどこかへ流れて行くのである。捕まえることはできない。そうやって数え切れない物語が地の底に溶けて行ったのである。
私はできるだけ歩くことにしている。そうやって沈んでいった物語たちを供養するために。彼らはきっと物語であった。半端物ではなかった。既に物語として完成していながら、それを現代の言葉に変換する装置の不備、つまり私の機能不全によって、決して日の目を見なくとも好い世界へと浄化されたのである。
供養のための経文はないが、形式として、何かの文言を唱えるのを習慣としている。言葉を中空に吐いてやると、一文字一文字の単位であったり、雨の日などは空気が粘ついているから単語や短い文になって、風があればそれらに乗って運ばれてゆくし、電信柱に張り付いたり、電線を伝ってどこかの何かに障害を起こしたり、時にはカラスが咥えて行って自らの子どもたちに餌として与えるのである。何色の言葉を吐いても、彼らに処理を頼めば、一様に綺麗に片付けてくれる。そのために体に黒い色を塗っているのである。
今朝も3羽ほど、私の下らない詩編を咥えて朝日の昇る方向へ飛んで行った。私がそれらの文言をつぶやいた時点では、それらはただの平坦な地面のようであったが、彼らが咥えた瞬間に詩になった。私はその過程の輝く様をみて、朝の明るいことの仕組みを知ったのであった。
これが、その「ある一日」の始まりである。