そこに何かを物語る前に。-4-

私の心持ちの平面には、確かに曇りがあった。たった一点、それは数学の上での、完全なる点、つまりたとえば鉛筆などで点を描いても、どんなに小さく小さく点であるかのように描いたとしても、それは線であり、あるいは面積を持ってしまっているから、厳密な意味では点ではないのだけれども、そういったある意味哲学の分野に足を投げ入れてしまっているような議論は、ここではもちろん必要がない。とりあえず、たった一点の、綺麗な色をした染みが、しかしはっきりとその存在を示していた。
私には看過することができなかった。この箱はきっと安全であったことと思う。それは、この箱と関わった全ての人が等しく抱く評価であっただろうと思う。だとしても、私はこの箱をそのまま元あった流れに戻すことはできなかったのである。
私はその箱を背後のスペースに置いた。そして青いスイッチを押してベルトコンベアを流し始めた。その後は、もういつもの作業に戻っているのである。我ながら、それは一つの驚きであった。
その箱が本当に安全かどうかは、私の判断ではないことは前にも述べた。だから、私は、とても綺麗な緑色と音色を持った一つの箱を、そこに一切の情を挟むことなく取り除いたのであった。それが私の仕事であり、私のここに座る意味であった。コウノトリを信じている無垢な少女であったとしても、そこに僅かでも曇りがあるならば私はその少女を疑い、そして跳ね除ける。人情という言葉はそこにはなかった。作業であった。そう、そこには人情という言葉はなかったのである。
私の作業は定時で終わる。ベルが鳴り、ベルトコンベアが一度止まる。30分ほどの間が有って、次の人が入ってくることになっている。交代制であった。次の人とは引継ぎがあるわけでもなかったから、特に交流が持たれるわけでもなかった。ともかく、30分の間に、午後の作業で出た不良品をより精密な検査をする部署に持って行き、一度部屋に戻ってから部屋の中の点検をし、しかるべき書類に記入をし、それを事務に提出し、そういった一連の決まり事を終えて、一日の職務は終了であった。私はそれを、この「ある一日」にもつつがなくこなすはずだった。
作業の中に人情の入り込む余地はなかった。しかしそれ以外の部分には、やはり私も人であったのだろう、人情によって動かされる部分は確実にあった。その対象はもちろん先ほどの緑色の箱である。
どの箱の音も、とても近くまで耳を近づけないと聞こえないほどに小さい。音の大小はその小ささの範囲内にもあった。時には箱に耳をくっつけて聞くこともあった。その時は、間にビニルのシートを挟んで、箱が汚れるのを防いだ。私はその時の耳の感覚があまり好きではなかった。
私は、交代のために充てられた30分の間に、以上のようないくつかの手続きをこなさなければならなかった。時間には余裕があった。しかし、この部屋に作業以外の目的で長く居続けることは無駄だった。この作業のためだけにある部屋には、作業以外のことができる設備はなかった。たばこでも吸おうものなら、スプリンクラーが作動するだろう。ともかく、ここで時間をつぶすなぞということは考えられなかった。
いつもならば、私は手早くことを済ませて、素早く家路に着くのであったが、例の箱が、私をそうさせなかった。