ある夕方2。

台風が来ていて、外出からの岐路、当たり前のように雨が私を濡らして、私はそこから不快感を抽出して咀嚼し、雨脚の強い時は傘などはほとんど何の役にも立たないことを確認というか、体験し、その結果はやはり不快感として私に刻まれるのを確認し、テレビは特別仕様の画面を提示して、常に台風について教えてくれていて、私はそれをほぼ何も考えず*1眺めながら、安い味のするポップコーンを袋半分ほど無意識に、機械的に食べ、ペットボトルの2リットル入りウーロン茶を飲み、昼寝をして起きると、台風は大陸をそれて海上を北上していくのではないか、という予報が出ていた。それる、のであった。それでも、雨脚は少しだけ穏やかになると、間髪入れずヒグラシが夕方を鳴き落としているのであって、私はそこに傲慢な、いわゆる一種の現代におけるおばさんの如き力強さ、そこにはもちろん否定的な意味と経験から来る多分な怒りが含まれているのだけれども、それを感じないわけにはいかなかった。何もかもが夏である。

*1:そんなことが可能かどうかは分からないけれども。