思うことなど雑記的に。

長い文章を書いてないなぁ、という雑感があって、もともと長い文章を書くと襤褸が出るのであまり書かないのだけれども、もう少し組み立てとかを考えてちょっと長い物とかを書くのもたまには楽しいんじゃないかなぁ、と思ってみたりした。思っただけなのだけれども。

日記、となると、自分の場合は基本的には事実が中心となるので、書けることはだいぶ限られてしまうということがある。まあ、個人情報とかのことももちろんあるんだけれども、わざわざ公に出すまでも無いこともたくさんあるし。結局、自分の中での公開を前提とした日記の位置付けは、あくまで自分を知っていて、更に日記の存在を知っている人に対しての生存証明であって、自分に対する記録的な意味はあまり無いような気がする。自分への義務ではない、というか。

記録、という意味で言えば、もっとプライベートな感じでやれば十分なんだけれども、そこは「かまってちゃん」的な側面もあって、ついつい公開してしまうとういところは、あるんじゃないかと思う。

でもまあ、かまってとか何とかのレベルではなくて、最近はあまり日記も書かなくなってきていて、それは物理的に時間が制約されることもあるし、上記のように書けないことも結構あったりとか、前ほどのモチベーションもなくなってきている、っていうのはどうしてもあるんだろうと思う。だから何、とされてしまうと、さぁ・・・、としかならないんだけれども。

あと、呑んだら書かない、ってのは某有名芸人が言っていたことにかんれんしているんだけども、まあそういう縛りが自分の中で勝手にあって、日記の方は書くんだけれども、オモテの方は絶対書かないってのは、ずっと守っていて。今書いてみてびっくりしたけど、なんだそれ・・・。

ただ、じゃあ呑んでスゲー好いものが出来たとしても、じゃあ呑まねーと駄目なのかー、と。普通の自分じゃあ駄目なのか、と。まあ可能性をつぶしてるっていう可能性はあるんだけれども。ここまで来て、この縛りを止める気もないんですが、まあそういったこともあって、オモテの更新頻度もダダ下がり、っていう塩梅です。

更新頻度ってことで言えば、前も書いたような気もするんだけれども、ある意味陰に籠もるような時間がもっともっと無いといけないなぁ。日々の雑事はそういった「生産的」なベクトルを限りなく奪い取るように働いているに違いない。

日々の雑事あるいは仕事とか業務とかいった類のものは「こなす」っていう性質が、今だけなのかも知れませんが、とても強くて、仕事に行く、仕事する、帰ってきて寝る、みたいなルーチンは少なからず出来ている。それは別に異常なことじゃなくて当たり前なんだろうけれども。身分保障とか責任てこととかを考えていくと、そのままゆっくりと卒倒しそう(ゆっくり、ってのと、卒倒、てのは逆の方向性か)ですが、真綿ほど軽くても背負ってるものはあるわけで、それを維持するってのと、生産的な方向に向かうってのは、なかなか両立が難しいのだなぁ、と。もしやるとすれば、生産性ベースで雑事をこなす、ってことなんだけれども、それでは結局両方半端な感じになるのは見えているし、生産性第一で、もう完全にそっちしか睨んでいないっていう構えがとれれば好いんだけれども、それはもう生活を半ば捨ててるっていうか、食ってくとかどうとかの範疇じゃないのかなぁ、とも思われて、それが出来れば苦労はしないよ、という。

いろいろ経験積んで30くらいになったら一つくらいには形にして、みたいなことはよく考えるんだけれども、それはある意味逃げというか、「ピンポン」の途中までじゃないけれども、必死に耳を塞いでるような状況なんだろうと思う。きっと塞ぎっぱなしで終わるんじゃないだろうか。もう底が知れてるというか見切りが付いているというか、そういう思想になった時点で終わりなんだけれども。行くとか逃げるとかではなくて、もうそこには居ない、っていう。

だからまあ、結局、コトバアソビ程度で細々と好きなことを好きなように、やってる上では腹の中では完全にそうとはいかないにしても、少なくとも建前上だけでもそのようにやっていければなぁ、と。何だか、余計整理が付かなくなったわぁ・・・。