大人になった私へ。

大人になった私は、嫌なことの一つもあれば、酒を呑み、好きな音楽を聴き、好きな本を読み、少しだけ高い美味しいものを食べ、好く眠る。インターネットには私を慰める仕組みがたくさんある。私は「それ」と向き合わず、受け流さず、ただ見ない振りをして、無かったことにして、それは一時的にだけれども、何の制約も無い、仮初のぐらついた世界で遊ぶのである。
じゃあ、子供の時は、一体どうしていたのだろう? 嫌なことがあって腹が立って、どこにもぶつけられず、酒も呑めずにどうやって処理していたのだろう? 全く覚えていない。それが、過去に子供であった人に、或いはある意味で今でも子供である人に用意された特権に他ならないのであろうか。昔と今は地続きであるから、外側から客観的に見ることができないから、私には何も分からないのだろうか。
この2本の足は何のために付いている。毎日のように自問するだけ自問して、それはもう儀式的な範疇であるのだったけれども、自問自答を繰り返して、結論は出ぬまま、私は墓の中に入るのだろうと思う。それが私のとっての道理である。