どこかの遠くの何かの。

色々な立場があるが言葉を表現の手段のひとつと捉えない人々がいるとすれば、私は彼らとは反対側にいることになる。強い否定を以て彼らの言論を批判するだろう。そこには感情を込めるだろう。私にとって言葉はある形式であり手段である。そこに神格的なものも、道具的な意味に限定されるような意見も、私は持ち込まない。言葉は私にとって全てである。言葉は私である。その一番底辺から天辺まで、私は捉えようとする積りである。輪郭だけでも捕まえる積りである。それは義務ではなく礼儀である。自然である。苦ではないが決して楽な道ではないことを知っている。それは道理である。しかしその作業こそが私の私たる所以であるようにも思う。その一連の装置が私を駆動させているのである。その装置の燃料は言葉である。