酩酊日記。

遠くに星がいくつも出ていて、私は夜を自分の中に認識する。こうも明るい都会に住んでいては、夜は畏敬の対象ではなく、ただ寝るだけの時間帯である。闇の輝きを、人はどこへ忘れてきたのだろうか。今でも私は生まれ育った土地の、夜に潜む安心感と、それと同等くらいの怖さを簡単に思い出すことが出来る。私はその深淵に命を落とすことさえ出来るだろう。それほど、夜の持つ力は絶対的なものである。
誰かが決めたルールに、命の次元で従うことはない。表面上、従っていることにして遣り過ごせば好い。波風の立たない穏やかな水面のように、ほぼありのままの自身が映るほどの透明度を、果たしてどれだけの人が無意識の世界で示すことが出来るだろうか。たとえば本当の意味での僧侶にはそれが出来るのかも知れない。
誰が正しく生きろ、と言ったのだろうか。上手く生きる術の方が、この浮き世を渡っていく船には余程必要である。出来る相手ならば、そのことをも知った上で、結果を第一義として過程をも評価してくれるだろう。わずかな犠牲であれば自身の身を切ってでも出来るだけ多くの事情が丸く収まる方策を考えるべきである。否、考えるだけではなく、実行し、決着をつけ、欲を言えば次の歩を繋ぐべきである。動いていることと休まないことは同義ではない。
夏はやがて終わる。すぐに、明日は明後日に変わる。悪が勝(まさ)って栄える日々など来ない。抱える意志に与える意味、それを支える道にはいかなる未知が潜む。挑むことから逃げず、急ぐ者には見えぬ本物の影を追う過程に、やがて光が灯ることを信じて歩け。まるで視界が滞ることを禁じて、明日へ。