酩酊日記。

どう転んでも好い、などというのは口実であって、勿論好い方向に転ぶに越したことは無いのである。それが分かっていて私たちは当たり前に予防線を張り、そして当たり前に敗北してゆく。生活の上での勝率は何に喩えられよう、天文学的な数字さえそこには定義できる。量の話題だけを持ってい歩いているわけではないが、どうしても目に付きやすいものに目は行く。それが道理である。
人々は分からないということに対して不安であり、だから死が不安なのである(ところで、南直哉和尚(宗派によってこの呼び名は違うのかも知れない)が述べるように、死は生ける者の中に在るのである。死者の中に在るものではなくて、生者の中にのみ現出してくるものである)。そしてそこに宗教が生まれ、時に商売が生まれる(全ての新興宗教は断罪されるべきだ)。私も先の見えない、全く足元の固まらない事象に振り回されて、消耗し、或いは摩耗して意識を遊ばせている。
誰か首にひもでも付けて私を固定させてくれないものか。