空想、その先。(酩酊ver.)

その先、という言葉が好きだ。何かとその先について考えるということ。まず何か、という起点になる対象がある。それを把握することから始めて、そこに立って遠くの方、つまり「その先」を見る、ということになる。
例えば街を歩いていると、特に大きな駅などには、本当にたくさんの人が居る。にも関わらず、彼らは私には全く関係のない人ばかりである。関係のない、というのは語弊があるかも知れない。私の知らない力学があるかも知れないから。むしろ、私のことを知らない、と言った方がより正確にモノゴトを表すことができるのかも知れない。
とりあえず、私はその「見えないけれども絶対的な隔絶」があることに対して、そしてその隔絶が、もう無数にあることに対して、少なからず感動を覚えたのである。彼らとは関係がない、という関係で繋がっているという言葉遊びはこの際完全に棚に上げておこう。それは、ここでは積極的な意味での繋がりではないから。
私はある街の片隅に座ってみる。夕方が好いだろう。少し日が翳り始めて、空はあちこちで淡くなっている。私は特に何をするでもなく、四方八方の空気を見、また人々の往来を見ているのである。視覚的或いは聴覚的な情報量は、もうとっくに飽和点に達していて、私は大分前からあらゆる処理を止めている。それは意識の上で、である。無意識下のことは、勿論私の管轄ではないから。
多くの人は、その目に私を写すだろう。そしてその風景を流して、また歩いて行くのだろう。私はやはり、視線の上でも彼らとの交わりを持たないのである。持ったところで、そこには本当の意味での交わりが生じないのである。
世間から身を隠すことなど、そう難しいことではない。