ある年のある夏のある期間について。1

それは言い訳であるのかも知れなかったが、或いは、もう少し高い評価を与えてやって、ある期間に対する自分なりの評価、とでも言えばいいのかも知れないけれども、いずれにせよ、私にはその全貌と本質、つまり全体とある一点、その点は核とでも言うべき全ての意味が集約された結晶だったのだけれども、その2項のそれぞれとその間にある関係性を同時に把握しようと努めてみるのである。それは義務のようにも思えた。脅迫的な色は少なかったと思う。ただ、そうすることが自分には必要であり、そのことの意味、価値、そういった、言葉にしてしまうと何だか空々しいような、虚しいような内容のものを、まあ少しだけ余暇ができたから探してみようかという、それくらいの気概で以って始めるのだったから、私が求めるものに私が到達できるかどうかは私に懸かっているというのは当たり前の話だったけれども、その一連の活動の責任者であるところの私の脳髄は、そのように曖昧な霧を内外に発生させていたので、到達できるのか、という、この過程の結果を睨んだ問題の回答は、やはり恐らく曖昧なものになるのであろう。
端的に言えば、夏の魔物は今年も私を簡単に捕縛したのであり、一体私をどこに連れて行こうというのかという問題について、私は少なからず不安のようなものを感じている。甘美。その2語はそこにあるのかも知れなかった。陽炎のようにゆらゆらとしていて、炎天の下で食べるアイスクリームのようにヒンヤリとしていて爽やかな甘さを持っていたが、すでにお気付きのこととも思うが、それらは例えばいつの間にか道路脇の側溝に流れ込むのであったし、急いで食べる折などは頭痛を催すのであったし、やはり炎天に刺激されて簡単に解けてしまうのであった。これらは、夏の使う魔法の一つであったのかも知れなかった。