ある年のある夏のある期間について。2

それで、私はその期間の中で、ある奇跡、魔法、或いは何か神掛かったような、現実からは完全に切り離された一つの主体性を持った空間の中に生活していた。そこにはやはり独特の時間が自分の存在を主張しながら流れていたのだと思う。しかし、その時にはこれらの浮世*1離れした現実が発している光線は、それはとても高い熱を持っているはずだったが、私を守るための私の内と外の感覚という感覚は一切麻痺していて、私は何も感じなかった。ただそこには一定の起伏を持った一定の律動があるだけで、歩くに連れて体が上下するといった極々基本的な運動などしか感じられなかった。それは、その空間の一つの機能であったのかも知れない。
それはとても短い期間であったと記憶している。密度は濃かったのかも知れない。それらは必ず比例するというわけではないことは、もう説明の必要がないだろうけれども。
私は、私が望むと望まざるとに関わらず、その周囲に貼られていた透明な、薄いけれども屈強な膜を破って、ずいぶん遠くまで移動し、そしてそこにしばらく居を構える必要があったから、その憂き世離れした空間を力尽くで振り払って、さまざまな連絡を絶って、全く別の人として自分を機能させなくてはならなくなった。それは仕事であった。私に課せられた使命であり、その責任は私の上だけに留まらず、今私が持っている過程が一応の終結を見た暁には、その結果はさまざまな方面に効果を波及させるのであった。
もちろん、さまざまな方面のことなどは、ほとんど勘案していない自分というものはあって、とりあえずは、ただただ、憂き世離れした期間からさらに逸脱したこの期間が、大きな利益なんてものは全く望まないから、平穏に、ただただ無事に、平均点で構わないから過ぎ去ってくれるのを、じっと待っているのであった。
しかし、また新しい波はすぐそこに迫っているのかも知れなかった。

*1:=憂き世。