手紙。

母から手紙を貰うのは、もう、多分何年振りという次元の話なのだろう。
そこまで郷里を遠くに追いやっていたわけではなかったから、実家の事情は好く分かっていたし、取り立てて大きな事件も聞いてはいなかったし、だからこそ、手紙の文面には真新しいこともなく、普通の、まるで普通の自分の生まれ育った家、そして最も大切な家族、言葉にすると短いかも知れないけれど、その重みはきっと私自身にしか分からないだろうし、その大切さも私自身にとって最も色濃く働くものであったから、ここでは、これ以上深い表現をしないでおくけれども、とにもかくにも、母からの久し振りの手紙という形式の中には、そこに載っている文字、それを形作っているインクの染み、それ以上の動的な過程が十分に紙面には染み込んでいて、私はそれを容易に読み取ることが出来て、その容易さこそが私の、今はきっといつもよりも何層倍も弱っている、打ちのめされているところの心持ちの、更に更に薄くなって向こう側が見えそうになっている部分に、優しい温度を与えてくれるのであった。
涙は流さなかったが、それに近いものはきっとあったのかも知れない。でも、それを書くことは野暮のように思えて仕方が無かった。そこには恥ずかしさもあったのだろうと思う。しかしそれ以上に、その感覚の、素朴で、質素で、儚くて、小さくて、淡いことを、わざわざ表現などという、私の手に余る加工技術で持って枠にはめてしまうことで、その、私だけに意味を持つ光をくすませてしまうことが、急に、とてももったいなく、そして無駄なことのように思えて、私は思いとどまるのであった。
夕餉は近い。煮物の鍋が、静かに煮えていた。コロッケがあった。後はご飯が炊けるのを待ち、炊けたら、頃合を見計らって飯を食い、少しゆっくりして、仕事をやはり少しだけ片付け、風呂に入って、その熱が逃げないうちに布団に包まって、さて、また明日。